祖母が、4月18日、天寿をまっとうし、20年前に亡くなった祖父のもとへと逝きました。
93歳でした。

写真は去年の夏のものです。祖母と息子の、最後のツーショット。
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私が大人になってからは、同じ時代小説ファンとして話も盛り上がったものです。祖母は、なんと言っても捕物帳が大好きでした。
そうそう、でも、池波正太郎の「藤枝梅安」だけは苦手だった。「あたしは、針でグサリなんて残酷なやつぁ、読んでられないんさ。」なんて顔をしかめていたっけ。「面白いのにぃ。」と薦めても、首を横に振るだけ。そこに、祖母のかわいらしい一面を見ました。
同様に思い出深いのは、家が近所ということもあり、私が帰省した際には「帰って来てるって聞いたから」と、大好きな煮豆を持って来てくれたことです。祖母の煮豆、天下一品でした。
毎回、「年寄りが食べるもんだから、柔らかくし過ぎて崩れちゃってるんだけどさぁ…」と、ちょっと高い声で説明しながら手渡してくれた煮豆、あんな美味しいご馳走を、私もいつか作れたらいいなって思います。
今年の祖母への年賀状には、確か、「おばあちゃんの煮豆が食べたい!」と書いたんですよね。
しかし、正月にはほぼ寝たきりの生活になってしまっていた祖母…
なので、代わりに、一緒に住んでいた叔母がこしらえてくれました。「おばあちゃんに作り方教わったよ。」って。美味しかったなぁ。私も教えてもらえば良かった。
思い出を語り始めると、一緒に住んでいなかったにも関わらずあとからあとから出てくるものですが、うん、実はとびきりの思い出がありまして。
それは、20年前に祖父が他界した日のこと。
祖父が息を引き取る瞬間、その足元で祖母が叫んだ、あるひと言。
私は高校生で、心はまだまだ子供だったのに、その言葉がなんとも衝撃的で胸に染み入り、今でもその場の光景とともに大切な引き出しに仕舞われています。
大切にしたい祖母の言葉なので、詳細は控えさせてもらいますが、「あたたかい夫婦のありようをそこに見た」と記させてもらおうと思います。
さて、4人の子と、11人の孫、そして14人のひ孫に見送られ、祖父のもとへと旅立った祖母。
私は、祖母が亡くなったその夜、布団で考えていたんです。
ツレアイがいなくなって20年生活するって、いったいどんな気持ちなんだろうって。心細くはないのか。人生がイヤになったりすることはないのか。
そういう時ももちろんあったでしょう。それでもやはり、子供、孫、ひ孫に囲まれていたからこそ、死を嘆くばかりにならずに済んだのでしょうね。
特に、ともに暮らしていた、私の父の弟家族のあたたかな愛情が、何よりの支えだったのではないかと思います。
祖母が、満たされた気持ちで人生の幕を閉じることができたと信じています。
そして、いつもは「死んだら灰になるだけ」なんて考えている私ではありますが、今回ばかりは、祖母はきっと祖父に会え、14人のひ孫ひとりひとりについて自慢げに話し込んでいるんじゃないか、なーんて想像を膨らましておる次第です。
そんな自慢のひ孫のひとりであるウチの息子も、今日で1歳4ヶ月になりました。

小さいながらも「生」に満ち満ちた我が子を眺めていると、ちょっぴり胸が苦しくなる、そんな日がまだ少し続きそうです。
*追記
長く、ここをお休みしてしまいました。
にもかかわらず、訪れ、コメントをくださったみなさん、本当にありがとうございました。
みなさんのところにも、また伺わせてもらいますので、今後ともよろしくお願いいたします。
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